表現者に活躍の舞台を作るNPOとして東京渋谷で活動するKOMPOSITION。今までグラフィティアートやストリートバスケットボールといったストリート色の強いアクティビティを行ってきた“コンポジ”が、世の中に新たな衝撃を与えるべくタッグを組んだのはセパタクロー!!…ってマジ!?このクレイジーなイベントを仕掛けることになった全ての始まり=矢野潤也が、セパの今までと、keluへの想いを熱く語った。
表現者に活躍の舞台を作るNPOとして東京渋谷で活動するKOMPOSITION。今までグラフィティアートやストリートバスケットボールといったストリート色の強いアクティビティを行ってきた“コンポジ”が、世の中に新たな衝撃を与えるべくタッグを組んだのはセパタクロー!!…ってマジ!?このクレイジーなイベントを仕掛けることになった全ての始まり=矢野潤也が、セパの今までと、keluへの想いを熱く語った。
マレー語で「蹴る」を表す「セパ」と、タイ語で「ボール」を表す「タクロー」。東南アジアが発祥のこのスポーツの歴史は深く、9世紀頃から行われている。ゲームはバドミントンと同じ広さのコートと同じ高さのネットに、3人1組の2チームがネットをはさんで勝敗を競い合う。ネットを挟んだ状態で、その名の通りボールを蹴り合う様から「足のバレーボール」とも形容されるセパタクローだが、バレーボールとは違いアタックやブロックももちろん足で行うため、その激しさから「空中の格闘技」とも呼ばれている。ルールはバレーボールに似ているが主に「腕、手を使ってはいけない「1人で続けて3回までボールにタッチしてよい」「守備位置のローテーションはない」という3点で異なる。
セパタクロー歴16年、日本のキングTera。セパとの出会いとは?
高校までは、地元広島でずっとサッカーを続けていました。ちょうど16年前、高校3年生のときにサッカー部の監督に勧められて当時地元で開催されたセパの大会に何気なく参加したんです。それがきっかけで、いきなり日本代表に選ばれて、世界大会でタイへ。初めてタイで競技を見た時の衝撃は忘れられません。狭いコートの中で、オーバーヘッドキックよりも速いアタックが何度も見られるんですからね。それからすぐにセパへの転身を決意し、大学に入ってからはセパ一色でした。卒業後も、セパ以外の道は考えられませんでしたね。